コイワカメラの「世界の路地裏で(または女たち)」

旅先で出会う変わった事物や、または女たち。 それに纏わるショート・ストーリーズ。(画像はクリックして大きくして見て下さい。)

タグ:澳門世界遺産追加申請案件

マカオの内港区は100年以上前迄中国本土との唯一行き来できる港町として栄えたエリアで、その後その地位を香港とマカオ外港区にその役割を譲ってはただの下町に成り下がっては世界中からのアングラな人々を集める場所になる。そんな人々はダークな仕事で稼ぎ、それは人身売買 ...

澳門の「ローカル・エリア」と「観光エリア」の純然たる違いは「足元がカルサーダス(石畳)か否か」か。年を追うごとにその範囲はローカル・エリアにまで浸透しては来ているけれど。また「十月初五街」や「福隆新街」のように「旧堵場街」として歴史のある通りはあえてカルサ ...

先週はそこそこ忙しいのに風邪気味も加味してこの週末は「戦士の休息」。結構髪も伸びてきたので、先週から散髪に行きたいなとは思いながらもサスペンドして来たので昨日の午前中に行きたいと思いながらもダラダラしては行けず、今日こそは。そんな事を思いながらシャワーを ...

新馬路 (マカオ・ストリート・ストーリーズ 4)2006/02 - 2006/02 正式名は「亞美打利庇盧大馬路」。 ポルトガル語では「Avenida Almeida Ribeiro」(英訳するとさしづめ Avenue of Almeida Ribeiro といったところか。)でも地元では誰も正式名で呼ぶ人はいないし、 ...

 歴代のマカオ総督や香港の総督も食べた「黄枝記(ウォン・チー・ケイ)」のワンタン麺。香港の中環に支店(分店)があるのは有名(旅行記やグルメ・ブログなどでよく目にする)。マカオにも一軒支店がありそれはどこかというと、皆様ご存知のセナド広場沿いにあるのが実は ...

『里』コミュニティー 中国の街々の路地裏には「里」と名付けられる居住形式を見かける事がある。横丁とか裏路地長屋のように、親族や同郷出身者で作られるコミュ二ティーみたいなもの。有名なのは北京の「胡同」や客家の「土楼」。「里」はその縮小版のようなもの。毎年も ...

 PEDICABS = CYCLOS =澳門三輪車  何で俺はマカオに行くたび、必ず一枚はぺディキャブの写真を撮るのだろう? さして、ぺディキャブが好きなわけでもなく、乗ったことも無く、そんなに興味があるわけでもないのにそばにあると写してしまう。 前世がぺディキャブ・ドラ ...

南湾花園 (マカオ・ストリート・ストーリーズ12) その昔は、マカオ駐留のポルトガル軍の総司令部があった砦の一画。現在は総司令部の建物はハイ・クラスのレストランに変わり、周辺は昔の砦の頃の雰囲気を残したまま草花の生い茂る公園として地元の人たちの憩いの場となっ ...

三盞燈(マカオ・ストリート・ストーリーズ 5) 澳門に数あるロータリー(回転式交差点)の一つ。 日本は都市構造が碁盤の目状なので叉路はよく見かけるが回転式交差点はあまり目にしない。 逆に西洋では都市構造が放射型が多いためか叉路同様よく見かける。 英語圏では ...

澳門観光の中心部である「セナド広場」から北に10分ほどの場所にあるカトリックの墓地である「聖味基墳場」。数年前までは「西洋墳場」と言う名が正式名称だったし、ローカルも未だそう呼んでいる。澳門でのプロテスタント教会および墓地が世界遺産に登録されているにもかか ...

 1929年に建てられた郵政局のこの地は今も澳門ローカルに支持され続ける「澳門東洋医学」の拠所である「同善堂」があった場所で、常時澳門市民にとっての歴史的な場所。常時改修・改築をしながらも1世紀近くこの地に佇む澳門中心部のランドマーク。郵政業務のみならず、一時 ...

  観光客入り乱れる澳門観光のメッカ「セナド広場」から10分ほど北上すると現れだす「聖ラザロ地区」の南欧風の建物群。 移住ポルトガル人たちが澳門で初めてコミュニティーを作り出したため、朽ちそうな古いポルトガルらしい建物が密集するエリア。ポルトガル・マカオ500 ...

澳門唯一の世界遺産である「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」は30ヶ所の建築物と広場で構成され、その中に「街区(ストリート)」や「公園」は含まれていない。今後追加申請をするならば、以前ネタにした「ストリート」や「公園」も加えても良いのではないか的考察。澳門半 ...

澳門滞在中の僕のほとんどの行動半径を担う「内港区」。その汽水エリアには30を超える「碼頭(浦、埠頭)」があり、香港が開港する以前は東洋と西洋の輸出入の拠点として想像以上に栄えた場所だった。そんな内港区に現存する全ての碼頭のファザード。ちなみに澳門内港エリア ...

澳門の世界遺産は「建築物」と「広場」の2項目しかないけれど、そこに「ストリート」を加えればより歴史的な観点からの「東西世界の融合の始まり」が理解し易いと思っている。だからこそこのシリーズの一番最初に「福隆新街」を取り上げたり「十月初五街」にスポットを当てた ...

 1910年にポルトガルで興った共和革命の日にちなんで名づけられた「十月初五(日)街」。澳門では最初に賭場が開かれた場所としてローカルに認知されてはファンデメンタルなリスペクトを得ている場所。近年は地域興しのように、夏から秋にかけての週末をメインに「夜市(ナ ...

澳門内港区にある公園(広場)で2000年代に入って大々的な修復・改装が行われては現在の姿になった。 それ以前は柵に囲まれ地面は工事用の分厚い鉄板がぎっしりと敷詰められた公営駐車場および市バスの停留所だった。向かいに中国本土と行き来する長距離バスの「キー・クワ ...

2007/8/31(金) 午後 10:35 投稿2005年の世界遺産登録時、この通りがなぜ外れたのか(と言うかそれ以前に、マカオ政府がなぜこの通りを全面に押し出さなかったのか)理解に苦しむ。2004年頃に行なわれたリノベーションは、この通りをより中国色の強いものに変えた。今 ...

2007/9/4(火) 午後 10:46 投稿   マカオに数ある市場(街市)の中で2番目に古く、マカオ半島の中心にあるため重要度も高く、また一番ピクチュアレスクな建物の中にある。市場の建物がピクチュアレスクって言うのも何か変な話だが、下町風情の建物の中に忽然と現れるレン ...

2007/10/1(月) 午後 11:47 投稿 元々はマカオの福隆新街と言う歓楽街の一連の施設として、粵劇(京劇の広東版)を見せる劇場として建てられ後に映画館として使用されていた。福隆新街から娼館や賭場が無くなり、街の勢いがなくなると共にその役割を閉じてしまった。今現在も ...

2007/10/27(土) 午前 1:15 投稿  1990年代前半まで、実際にマカオ―中国間の国境ゲートとして使用されていた「關閘」。今現在は出入境ビルの前に、モニュメントとして、またランデブー・ポイントとして「記念碑」扱いで佇んでいる。僕が初めてマカオを訪れた1995年 ...

2007/11/15(木) 午前 0:46 投稿  香港では何十年も前に無くなったと言われ(探せば新界の奥のほうにありそうですが)、マカオではこの写真の場所以外に2箇所程しかない「路上床屋」。中国本土では街中でもたまに見かけるけれども、そうたくさんは無い。 マカオの定宿から ...

2008/1/4(金) 午前 11:34 投稿 現在の正式名称は「澳門特彆行政區行政長官辦公室」。あまりにも長いので、一般的には「特首府」と呼ばれている。セナド広場向かいに鎮座する「民政総署」と同じころに立てられたポルトガル様式の色濃い建物。また民政総署同様、マカオの政治 ...

本当の名前は「澳門中華総商会附設閲書報室」だが、地元の人たちも「八角亭」と呼び本当の名前を知ってる人は少ない。元々は駐澳ポルトガル軍人の社交場としてビリヤードなどのゲームを楽しむためのミリタリー・クラブの別館だったそうだが、葡軍なき今は一般に図書館として ...