コイワカメラの「世界の路地裏で(または女たち)」

旅先で出会う変わった事物や、または女たち。 それに纏わるショート・ストーリーズ

タグ:国境

El Viaje Corto A Ciudad Juarez1988/02 - 1988/02アメリカ・テキサス州エル・パソに滞在中、幾度と無く国境を越えては訪れたシアダード・ファレス。 何の変化も感じられないアメリカでの生活にちょっと人生の句読点を打てた気がする街だった。何の目的も無くただ街を徘徊し ...

中国・ベトナム間の陸路国境である「友誼関」。 一応「友誼鎮」と言う行政区分はあるものの実際は「憑祥」の一部のような感じ。中国・ベトナム両国の国力のようなもので国境線が移動する不安定なエリアながら、旧国境線上(中国側)は観光地化されては中国人ツアー客が ...

 最近話題の「アメリカ・メキシコ陸路国境」の西海岸メキシコ側に越えた場所にある「Tijuana(ティフアナ)」の街。ひと頃は「世界一治安の悪い街」とも言われては世界中の好事家たちを集めた。僕も何度か訪れては滞在したけれど、大概買い付けの仕事で訪れる事が多く写真を ...

澳門唯一の世界遺産である「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」は30ヶ所の建築物と広場で構成され、その中に「街区(ストリート)」や「公園」は含まれていない。今後追加申請をするならば、以前ネタにした「ストリート」や「公園」も加えても良いのではないか的考察。澳門半 ...

ベトナム・カンボジア陸路国境線上の両国を跨ぐ碑をベトナム側からカンボジア側に回り込み緩衝地帯をカンボジアの入国ゲートへ向う。ここでカンボジア・ビザを手配して陸路国境越え完了。入国ゲートを出るとそこは「スヴァイ・リエン州バベット」の町があり、ベトナム側から ...

ベトナム到着翌日。ブイ・ビエン通りの「絵画屋」のオーナーが副業でやっているらしい「レンタル・バイク」を借りて街の北西方面を目指す。そこには「モクバイ」と言う名の国境街があり、ベトナムのこの辺りでは唯一第3国人にも陸路国境越えが許されたボーダーがある。アジア ...

憑祥 (凭祥・ピンシャン)では大した時間を過ごしたわけでは無いけれど、華南地方にありながらの辺境加減を気に入ってか結構な枚数の写真を撮った。それほどまでに肌に合った街でのストップ・オーバーを終えては南寧の街へ帰る。憑祥の中心部に出てバスタに向うと、その周辺 ...

短いベトナム・ランソンでの滞在を切り上げて広西の南寧に戻る途中の「憑祥 (凭祥・ピンシャン)」中心部。余ったベトナム・ドンをRMB(人民元)に逆両替しようかと思い街中の市場で交渉するも、レートが異常に悪いような気がして市場脇の銀行やホテルに伺うも皆声をそろえ ...

ベトナム・ランソン日中雑感。宿に一番近い市場「Giếng Vuong Market Chợ Kỳ Lừa」周辺日中の風景。 市場前のカルスト風景。宿近くの路上の風景。健全な社会主義国家然とした日常の風景。発展途中の活気ある混沌。健全性の深い良い街。またいつか。シックスサマナ 第28 ...

市場周辺の散策を切り上げ市場入り口前のナイト・マーケットへ向う。一軒の「コム・フォー(フォー食堂)に入り酒の有無を確認してはフォーのトッピングをつまみにローカル・ビールを呑み始める。呑みだしてしばらくして隣のテーブルに座る2人組の若者と意気投合しては相席し ...

ランソンの「賓館街」を抜けて大通りに戻り昼間横目に見かけた市場へ。市場まで赴けば飯屋もあるだろうし、必然酒の用意もあるだろうと言う推測からw呑めそうな飯屋はもちろんあり、それは市場の入り口前に屋台村のように密集してある。しばらく営業は続きそうなので、呑み ...

夜呑みのために歩きで戸外に出てとりあえず近場の市場に向って歩き出すと「写真を撮ってくれ」と声をかけられる。ここランソンでは昼夜にかかわらず大き目のカメラを持ち歩いていると必ず数人に声をかけられては写真を撮る羽目になる。まぁ、発展途上国のデフォだけどw夜歩 ...

ベトナム・ランソンの安宿に荷を下ろしては一息つき、この後の行動計画を考える。ガイドブックどころか地図さえも無いまま来てしまったので地の利を脳内にインプットするため、宿のバイクを借りて周囲を流し乗り。結構大き目の市場が何ヶ所もあったり、大きめのバス・ターミ ...

この当時の僕の澳門での定宿だった「富城賓館」上層階の部屋からは遠目ながらも肉眼でも見える、澳門内港対岸にある本土中国広東省珠海市湾仔口岸(出入国管理)。内港からのフェリーに乗ってしまえば10分足らずで渡れるので、僕にとっては北側の陸路国境北にある拱北(ゴン ...

中国雲南、西双版納の首府景洪郊外にあるモンハン(勐罕、橄攬壩、橄榄坝(ガンランバ))には瀾滄江(ランツァンチャン)を挟んで景哈哈尼族乡との間を結ぶフェリー航路がある。瀾滄江とはメコン川上流側での中国国内での名称だ。大河を目にする事の少ない中国内陸部辺境の ...

今日はまだ日も明けぬ内からチャーターした車でミャンマーとの国境線の密出国・入国を繰り返し一仕事を終え、勐混(モンフン)でサンデー・マーケットを横見し、勐海から景洪(ジンホン)に移動中に交通警察に捕まり3時間ほど監禁・尋問された後解放されガンランバに戻 ...

中国雲南省南西部のどん詰まり。ビルマ(ミャンマー)と国境を接する町「打洛(ダーロウ)」中心部から、バイクを借りて訪れた口岸(国境)。その途中には両側に畑が広がり、畑を貫く街道脇には街路樹が植えられて、その木々や葉がアーチのようになっている。ビルマとの国境 ...

2007年4月現在、ミャンマーと中国の陸路国境は公式には開いていない。(ツアーに限って、徳宏タイ族ジンポー族自治州の姐告口岸から出入りできるが。)ここまで来てどうしても国境越えに諦めが付かず、打洛(ダールオ)の中心街にたむろっているバイタクの連中や、宿のおばさ ...

打洛(ダールオ)は雲南省南西の辺境にあり中国人とミャンマー人以外は訪れる人も少なく、国境が開いていない今、実際には両国民もあまり訪れはしていない。必然ガイド・ブックやネット上でも画像や情報も少なく、そのフォローと言うわけでも無いのですが、少しでも後続の旅 ...

中国南西の端。 どん詰まりの本当の辺境。目と鼻の先はミャンマー。「貧」としか例えようの無い街。だけど活気だけはあった。公式の国境である「打洛(ダールオ)口岸」は現在開かれてはいないものの、地元の人たちは山の中の国境を自由に行き来してはささやかな国境貿易が ...

第三国人に対して、唯一開かれている中国・ラオス間の陸路国境の街「ボーテン」。実際には街と言うより峠の村。大型トラックや、中国・ラオス間を行き来する観光バスが通り過ぎるだけの幹線道路の脇に、数軒のスーパー・マーケットと野外ホーカー・センターがあり、その背後 ...

広州を出発してから一度も宿を取らず60時間程をかけてやっとの事到着した「磨憨(モーハン)」。ここはラオスとの国境を接する街でもある。90年代後半に中国〜ラオス間の大型車両用の通行路が出来たのがきっかけで第三国人にも開かれた国境だ。その当時は1〜2軒の宿と、5〜6 ...

シンガポールと陸路国境を接するマレーシアのジョホール・バル(J.B.)。マレーシア第二の規模の街だけれど、国境周辺以外はマレーシアの何処にでもある地方都市然とした、特に特徴の無い街の印象。近年は都市開発で「バングナン・サルタン・イスカンダル(Bangunan Sultan I ...

關閘(澳門ボーダー・ゲート)から市バスに乗り込み、窓越しに撮った「ロイヤル・スーパーマーケット(來來第二十八分店 - 怡南分店)」。15時頃にシャッターが閉まってるって事は「裏口」なのか「休業中」なのか。澳門での買い物の重要な拠点。(しかしながら、僕はほとんど ...

ボチボチ年末年始の繁忙も落ち着き、やっとゆっくりネタを書ける気がする。 昨今コメントもたくさんいただいてはいるものの、全然レスできていなくて「すいません」です。 しばらくは時間の余裕もできると思う ...

アメリカ側「サン・イシードロ」の国境を越えてメキシコ・ティファナへ入る。 ティファナ川を越えるとティファナの「セントロ」。 夜景がキレイそうだ。 ...

アメリカの辺境とも言うべき、メキシコと国境を接するテキサス州エル・パソ。 リオ・グランデ河が国境となって両国を分かつ。 エル・パソはアメリカの街ながら、ラティーノ・カルチャーが色濃く浸透していて、他のテキサ ...

中国雲南省西双版納(シーサンパンナ)傣族自治州勐海県のドン詰まりの、ビルマと国境を接する「打洛」。 ここが中国語での本来の意味の「辺境」では無いかと思わせられるほどの辺境。 まぁ、そんな場所にも夜は訪れるわけで、宵の口にもなると「日本人辺境カメラマン ...

「尚勇」は中国雲南省西双版納(シーサンパンナ)傣族自治州勐臘県にある辺境の村。 僕がここに着いたのはまだ宵の口の9時前後。 村のメイン・ストリートには既にどこにも明かりは灯っておらず、肉眼ではほぼ真っ暗闇の中に薄紫のライトが光り、その中から中国歌謡と数 ...

マカオの定宿の部屋の窓から眺める中国本土珠海市湾仔。 僕はどこの国に行っても「国境」ばかり眺めて旅しているなぁ。w ...

中国・ラオス間の三国人にも解放されている国境はモーハン(磨憨)・ボーテン間のみだ。 このエリアの風俗は中国側のモーハンの街中にある髪廊・KTV・賓館小姐と、その選択肢は少ないながらもそこそこある。 方やラオス側となると中国資本で建てられたカジノ・ホテル前にた ...

以前「米・墨国境」に関しては「エル・パソ&シウダー・ファレス」間にある国境を紹介したことがある。 ここは西海岸の「サン・イシードロ&ティファナ」間の国境。 この国境の境界碑がある場所は両国国境の緩衝地帯にあるのだが、実際にはメキシコの実 ...

中国雲南省西双版納タイ族自治区モンラー県モーハン(磨憨)にある餐庁併設の宿。この宿から50メートルも南に行くと、中国とラオスの国境にたどり着く。辺境と言えば辺境だが、漢民族の移住者を積極的に受け入れた新興街で、小さな街ながら「国境の街」然としていて、夜通し ...

日本は陸路の国境を持たない国なので「陸路国境」と言う概念は薄いし、それに対する知識も少ない。陸路国境と一口で言っても、中には数十メートルしか接していない国境もあれば、数千キロメートル以上もの長さの国境も存在する。そんな「数千キロメートル」もの国境線を絶え ...

シンガポールは島国で、実際にはマレー半島部と陸地では接点は無いが、マレーシアからシンガポールが「輸入」している水のパイプである「ジョホール水道」に平行にかけられた橋が両国を陸路でつなぐ唯一のポイントだ。両国の国境を挟んだシンガポール側は「ウッドランズ」と ...

元記事:http://4travel.jp/traveler/koiwakoiwa/album/10138493/旅行時期:2007年03月第三国人に対して、唯一開かれている中国・ラオス間の陸路国境の街「ボーテン」。実際には街と言うより峠の村。大型トラックや、中国・ラオス間を行き来する観光バスが通り過ぎるだけの幹 ...

元記事:http://blogs.yahoo.co.jp/koiwakoiwa24/6099334.html1990年代前半まで、実際にマカオ―中国間の国境ゲートとして使用されていた「關閘(グアンザップ)」。今現在は出入境ビルの前に、モニュメントとして、またランデブー・ポイントとして「記念碑」扱いで佇んでい ...

中国広西の憑祥とベトナムのドンダン間の旧中・越国境線上にある旧関門である「友誼関」。「友誼関」を英訳すると「フレンドシップ・ゲート」になるのだろうが、両国の近代史の中で実際に友好的な時期は21世紀になってのここ最近の間だけで、ベトナム戦争後には自ら「中越戦 ...

ティファナ郊外、アメリカとの国境近辺のお土産屋。 ソンブレロやルチャ・ドールも鉄板だが、それ以上にこの周辺で営業していた「タコス屋」が激安で嬉しい。 タコス3個にアチョーテ・ライス・サラダが付いて、〆てUS$1。 国境の向こう、アメリカのサン・イシード ...

ベトナム北部の街ランソンは中国と陸路国境を接する延長上に位置している。 必然的に中国国内の世界遺産である「華南カルスト地形」の延長上にもあるわけで、街の中心部でもカルスト台地が作り出す奇景を眺める事が出来る。 ランソンの中心部にはフェンスで覆われた ...

ベトナムの中国との国境近辺の街「ランソン」。 その街の安宿で借りて乗り回していたバイク。 ホンダの「ドリーム」って言うんだっけ? 「カブ」にスクーターのカウル付けただけみたいなバイク。 ベトナムでは換金率の高い投機対象品だそうだ。 「ところ変われ ...

中国雲南省の西双版納はモーハンの街と国境を接するラオス側ボーテン。 ラオス側国境周辺に「街」と呼べるような場所は無く、このボーテンもスクウォッターが空き地を埋める「スラム」の連続の中に、中国系の商店や屋台が点在するだけ。 そんなスラムで見かけた普 ...

澳・中国境(近未来的希望的観測)「關閘」にある旧「澳・中国境ゲート」。 19世紀半ばに作られたこのゲートは,実際に1970年代まで国境として使用され、その後の本格的な国境開放によりその本来の目的を終え、今現在は關閘にモニュメントとして佇んでいる。 ...

中国とラオス国境の、ラオス側にある集落「ボーテン」。 「街」とか「村」と呼ぶには、あまりにも雑多なスクウォッターが空き地に広がるだけの、「スラム」然とした場所だ。 集落の中心部など無いに等しいのか、一番人が集まる場所がイミグレーション前と言う寂れ加減。 ...

中・老国境のラオス側のイミ・グレ前で、客待ちしていた「長距離バス」。 こんなので、4時間とか6時間とか12時間とかかけて、ラオス内部の街に向かうらしい。 日本ではこの車を「軽トラ」と呼んでいる。 ...