コイワカメラの「世界の路地裏で(または女たち)」

旅先で出会う変わった事物や、または女たち。 それに纏わるショート・ストーリーズ。(画像はクリックして大きくして見て下さい。)

カテゴリ: 世界遺産

約一ヶ月前にまともなエントリーして以来3週間ほどビゴライブのスクショ画像載せてはお茶を濁していたw (だってW杯始まっちゃったんだもん) ツイッターにせよこのブログにせよ最近2009年のこの月の時期の画像使う事が多いなぁwそんなまだ旧正月真っ最中の2009年の初頭 ...

いつもは当日や当週に滞在していた記録画像を元にネタにしてアップしているこのシリーズだけど、日付を間違えてこの前週に滞在していたマカオの画像を抽出してしまったので、先週に引き続き先週のネタのスピンオフ。17年前の2005年の先週の月曜日。僕はマカオにいた。2週間前 ...

13年前の2009年の今日。僕はマカオにいた。メインダイニングのある雀仔園の大興麺家で呑んだくれては泥酔し、深夜と言うか朝方の3時過ぎに内港区の定宿へ戻る道すがら。水坑尾を横切り白馬行から板樟堂を伝っては噴水池に出て、多分橋仔頭あたりから福隆新街に入っては定宿へ ...

9年前の2013年の今日。僕はカンボジアのアンコールワットにいた。内部の遺跡群は世界遺産だらけで、見学用の10日券だったか2週間券だったかを購入して毎日通っても見切れないほどの遺跡群で、それでも結構端折って見学した記憶。アンコール・ワットにせよアンコール・トムにせ ...

新年明けましておめでとう御座います!昨年は自国警備員で終始したけど、今年こそは海外へ出たいと願います。海外に出れないので、日本で一番異国情緒があると感じる沖縄各地で過ごすことが多いw今年も年始はw新刊出ました!シックスサマナ 第38号 勝ち逃げ野郎 爆走!親不孝 ...

まだ続くマカオの路地と路地裏。「コイワカメラはマカオやってろ」シリーズ。マカオは2005年に「マカオ歴史地区」として世界遺産に登録されたが、そのスポット数は30ヶ所もあり、それがマカオ半島部の南半分に点在している。街をそぞろ歩けばそこら中に突然世界遺産スポット ...

先週に引き続きマカオの半島部の路地裏徒然。昨日も同じようなネタだったけど「コイワカメラはマカオやっとけ」と言う声があるのか無いのかwセント・ローレンス教会。サン・ジョセ修道教会。サー・ホートン図書館。海運賓館。安宿。岐関モーター。中国本土へのエクスカーション ...

アンコール・ワット中央祠堂往時は王のみ入ることが許されたアンコール・ワット中央祠堂は第三回廊の中心、ヒンドゥー経典における世界の中心地「須弥山」を模した祠堂。ここは王と神とが交信する場所でアンコール・ワット内最高位置。地上からの高さは65mで、天に一番近く神に ...

プリヤ・カーン (Preah Khan、 ប្រាសាទព្រះខ័ន) は、カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、仏教とヒンドゥー教の習合寺院である。名は「聖なる剣」を意味し、かつて境内で発見された剣に由来する。アンコール・トムの北東に位置する。この地はかつてヤショ ...

ニャック・ポアン(Neak Pean、クメール語: ប្រាសាទនាគព័ន្ធ、「絡み合うヘビ」、英語: The entwined serpents)は、カンボジアのアンコール地域において、12世紀の後半、王ジャヤーヴァルマン7世の統治時代に築かれた プリヤ・カーンのバライにある丸い島に ...

タ・ソム東塔門の絞め殺しの木(Third eastern gopura, with strangler fig of Ta Som、គោបុរៈខាងកើតខាងកើតទីបីដែលមានរូបចម្លាក់ចម្លែកនៃប្រាសាទតាសោម)東より入場するように設計されていたタ・ソムは、1つの濠お ...

Cyber Macau by Webcam2003/05 - 2005/03 マカオ観光局のウェブカム画像です。ノー・コメントで羅列するので、スライド・ショウしてください。最後の4コマは、ちょっとしたお遊びですが.....これはちょっとした遊び映像なのですが。僕は日本、友人はマカオ。 その友人の様 ...

バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei、クメール語: ប្រាសាទបន្ទាយក្តី ; プラサット・バンテアイ・クデイ、Prasat Banteay Kdei)は、カンボジアのアンコール遺跡において、「チャンバ族の砦」(英: "Citadel of Chambers")、または「僧房の砦」(英: "Citad ...

タ・ケウ(Ta Keo)は、アンコール遺跡の1つ。「クリスタルの古老」の意味を持つ。10世紀末にジャヤヴァルマン5世により建設が開始されたが、王の死去により未完成のまま放置されたピラミッド型ヒンドゥー寺院。タ・ケウのタは、おじいさんの意味で、直訳すると「ケウじいさ ...

アンコール・ワットをひと回りした後に訪れるのは「バイヨン寺院」。アンコール・ワットからだと「乳海攪拌」の欄干を付した橋を渡り南大門を経て寺院の内部へ。 バイヨン寺院のレリーフはカンボジアの紙幣に印刷されているほどの国の象徴。この辺はまだアンコール・ワットから ...

信心は無いしゲンも担がないけれど気にはなる。「イベント」的なとらえかたで、ハローウィンやクリスマス、お盆のようなもの。初夢の話で「一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭、七丁髷、八薔薇、九歌舞伎」ってのがある。俚言集覧に記載されていたものに「七」以降 ...

前回に続いてマカオでの日々の暮らしの中で撮った画像の中に写り込んだ、または意識的に写した世界遺産の断片や全景や。 「マカオ歴史区」として登録されている30ヶ所の多くが僕のマカオでの生活圏内にあり、わざわざ足を運ばなくても日々の滞在の中で結構な頻度で目の前に現 ...

世界遺産である「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」30箇所とその周辺画像のパート3。 銀塩紙焼やフィルムスキャンニングの劣化は別にして、今見直すと画角の切り方に違和感があるのは撮った当時かの考えがあったのかなんなのか?まぁ、15年以上前の写真。トークライブや ...

マカオ唯一の世界遺産「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」30カ所のパート2 。 この「回顧録」のシリーズって以前4TRAVEL に投稿した画像を編集の練習ついでにエントリーしているもの。フィルムで撮った紙焼きのスキャンニングもあるしフィルムをそのままスキャンした画 ...

マカオには「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」として半島部内の30カ所の建築物や広場が世界遺産登録されているスポットが点在する。 マカオ滞在時は特に世界遺産だからと意識することなく撮った写真の中に結構世界遺産スポットが混じる。 そんなマカオ滞在時に何気な ...

鼓浪嶼(ころうしょ、閩南語白話字:Ko͘-lōng-sū、簡体字: 鼓浪屿=北京語発音はグーランユー)は、中華人民共和国の福建省廈門市にある島。現地で話される閩南語の発音に基づいてコロンス島とも呼ばれる。かつて万国共同租界が置かれており、他国の影響も受けつつ独 ...

植民地時代、島に中国で唯一のピアノ博物館があったため、島は「ピアノの島(鋼琴之郷)」と呼ばれていた。その歴史的背景から、島内の小中高では音楽の専門授業を行っている。また厦門市の事実上の市歌となっている「コロンス島の波(鼓浪嶼之波)」という曲がある。 ...

観光地や世界遺産などは昼間に訪れることが多いだろうが本来の真骨頂は「〜の夜景」とも称されるように夜間にあるのでは? そんな「コロンス島の路地裏の夜景」w 昼間の「ハレ」と夜の「ケ」。またはその逆。何となくローカル色豊かな世界遺産の夜の路地裏。シックス ...

その昔、ペットと同室に宿泊出来る宿をとって箱根の山を周遊した。 箱根鉄道で終点まで登り、ケーブルカーで更に登り、その後ロープウェイで桃源台まで向かい、そこから観光船で箱根神社周辺まで戻るコースだ。 そんな旅程の中で見かけた風景と空と富士山。 今では ...

アモイ本島からの日帰り観光客はもちろん多いけれど宿泊して観光する訪問客も多いコロンス島。 狭い島ながら長期滞在する観光客も多いのにはチト驚くw コロンス島内には車やバイクは行き来していないので、実際には島内全ての路地が路地裏なのだが、その中でも路地裏 ...

 コロンス島南部にある「日光岩」の高所から眺める旧入植エリアでそのままの風情を残したまま観光資源にしたコロンス島内と対岸に広がる廈門(アモイ)市沿岸部。植民地様式の古い建物が保持されたコロンス島内の低層の建物に反して、対岸には福建省有数の街らしい高層でサ ...

コロンス島各所観光地や路地の佇まいはもちろん十分に良い眺めが点在している。 それに劣らないほど、昼夜問わずこの島から眺める対岸の大都市である廈門(アモイ)もなかなかの風情だ。 福建省第一の大都市であるアモイは、為政者である客家(ハッカ)による独特で ...

この頃のマカオは世界遺産登録前の文化遺産の改装ラッシュで、街中の至るところで工事と都市開発が行われては過ごし辛かった記憶。 追加登録されそうな文化遺産もついでに改装工事が付されては、街歩きの不便な時期でもあった。 僕はマカオに通うようになってから10 ...

コロンス島の最高峰・龍頭山(海抜92.68m)の頂上にある巨岩、もともとは晃岩とよばれたが、1641年に鄭成功により改名されたと伝わる。絶好の展望スポットとして人気で、洋館と緑が広がるコロンス島を眼下に、アモイ市街まで360度ぐるりを見晴るかすパノラマビューが楽しめ ...

今となっては世界遺産の、当時は肩書きの無い観光地の、世界遺産登録1年前の朝の日常風景。こうして改めて見ると、世界遺産が写っていない画像は1枚のみで、まるで「澳門世界遺産紹介」的画像群w今まで何千回と行き来した道すがらの建築物。500年続いたポルトガルの名残。シ ...

 第二次世界大戦が終結するまで上海とここコロンス島には複数の国家が共同で租界権を持つ「共同租界」があった。各国が統一感無く自国の建築様式で建てられた建築物はチグハグながらも異国情緒というものでくくられては今に至る。今現在は商業的利用がほとんどだけれど、当 ...

2017年に世界遺産登録された中国福建省廈門(アモイ)市の離島「鼓浪嶼(鼓浪屿、コロンス島、Gulangyu, Gulang Island、Kulangsu)」は日本ではコロンス島と呼ばれるほかに字面から「ころうしょ」とも呼ばれている。僕が訪れた2010年には既に完全な観光地化がされていたけれ ...

澳門の「ローカル・エリア」と「観光エリア」の純然たる違いは「足元がカルサーダス(石畳)か否か」か。年を追うごとにその範囲はローカル・エリアにまで浸透しては来ているけれど。また「十月初五街」や「福隆新街」のように「旧堵場街」として歴史のある通りはあえてカルサ ...

新馬路 (マカオ・ストリート・ストーリーズ 4)2006/02 - 2006/02 正式名は「亞美打利庇盧大馬路」。 ポルトガル語では「Avenida Almeida Ribeiro」(英訳するとさしづめ Avenue of Almeida Ribeiro といったところか。)でも地元では誰も正式名で呼ぶ人はいないし、 ...

 歴代のマカオ総督や香港の総督も食べた「黄枝記(ウォン・チー・ケイ)」のワンタン麺。香港の中環に支店(分店)があるのは有名(旅行記やグルメ・ブログなどでよく目にする)。マカオにも一軒支店がありそれはどこかというと、皆様ご存知のセナド広場沿いにあるのが実は ...

『里』コミュニティー 中国の街々の路地裏には「里」と名付けられる居住形式を見かける事がある。横丁とか裏路地長屋のように、親族や同郷出身者で作られるコミュ二ティーみたいなもの。有名なのは北京の「胡同」や客家の「土楼」。「里」はその縮小版のようなもの。毎年も ...

 PEDICABS = CYCLOS =澳門三輪車  何で俺はマカオに行くたび、必ず一枚はぺディキャブの写真を撮るのだろう? さして、ぺディキャブが好きなわけでもなく、乗ったことも無く、そんなに興味があるわけでもないのにそばにあると写してしまう。 前世がぺディキャブ・ドラ ...

南湾花園 (マカオ・ストリート・ストーリーズ12) その昔は、マカオ駐留のポルトガル軍の総司令部があった砦の一画。現在は総司令部の建物はハイ・クラスのレストランに変わり、周辺は昔の砦の頃の雰囲気を残したまま草花の生い茂る公園として地元の人たちの憩いの場となっ ...

三盞燈(マカオ・ストリート・ストーリーズ 5) 澳門に数あるロータリー(回転式交差点)の一つ。 日本は都市構造が碁盤の目状なので叉路はよく見かけるが回転式交差点はあまり目にしない。 逆に西洋では都市構造が放射型が多いためか叉路同様よく見かける。 英語圏では ...

澳門観光の中心部である「セナド広場」から北に10分ほどの場所にあるカトリックの墓地である「聖味基墳場」。数年前までは「西洋墳場」と言う名が正式名称だったし、ローカルも未だそう呼んでいる。澳門でのプロテスタント教会および墓地が世界遺産に登録されているにもかか ...

 1929年に建てられた郵政局のこの地は今も澳門ローカルに支持され続ける「澳門東洋医学」の拠所である「同善堂」があった場所で、常時澳門市民にとっての歴史的な場所。常時改修・改築をしながらも1世紀近くこの地に佇む澳門中心部のランドマーク。郵政業務のみならず、一時 ...

澳門唯一の世界遺産である「澳門歴史城区(マカオ歴史地区)」は30ヶ所の建築物と広場で構成され、その中に「街区(ストリート)」や「公園」は含まれていない。今後追加申請をするならば、以前ネタにした「ストリート」や「公園」も加えても良いのではないか的考察。澳門半 ...

澳門滞在中の僕のほとんどの行動半径を担う「内港区」。その汽水エリアには30を超える「碼頭(浦、埠頭)」があり、香港が開港する以前は東洋と西洋の輸出入の拠点として想像以上に栄えた場所だった。そんな内港区に現存する全ての碼頭のファザード。ちなみに澳門内港エリア ...

澳門の世界遺産は「建築物」と「広場」の2項目しかないけれど、そこに「ストリート」を加えればより歴史的な観点からの「東西世界の融合の始まり」が理解し易いと思っている。だからこそこのシリーズの一番最初に「福隆新街」を取り上げたり「十月初五街」にスポットを当てた ...

 1910年にポルトガルで興った共和革命の日にちなんで名づけられた「十月初五(日)街」。澳門では最初に賭場が開かれた場所としてローカルに認知されてはファンデメンタルなリスペクトを得ている場所。近年は地域興しのように、夏から秋にかけての週末をメインに「夜市(ナ ...

2007/9/4(火) 午後 10:46 投稿   マカオに数ある市場(街市)の中で2番目に古く、マカオ半島の中心にあるため重要度も高く、また一番ピクチュアレスクな建物の中にある。市場の建物がピクチュアレスクって言うのも何か変な話だが、下町風情の建物の中に忽然と現れるレン ...