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澳・中国境(近未来的希望的観測)「關閘」にある旧「澳・中国境ゲート」。

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19世紀半ばに作られたこのゲートは,実際に1970年代まで国境として使用され、その後の本格的な国境開放によりその本来の目的を終え、今現在は關閘にモニュメントとして佇んでいる。

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僕がマカオに初めて訪れた1995年当時は、ゲートの位置は本来「澳・中国境」として機能していた頃と同じ位置にあったが、その位置は何百メートルも続く緩衝地帯に、マカオ側から数十メートルほど突き刺さるように保存されていて、またその周囲は広場のようになっていて、その広場はぐるりと金網で囲まれ、その「金網」が実際の「国境」になっていた。

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(この金網から指だけ出しては、「指だけ出国」とか言っていたものだ。)

この当時の、この国境に関する徒然を、記憶をたどって記すると、

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☆マカオ側は広場のように設えていて、曲がりなりにも「特殊な場所」としての配慮があったが、中国側から見ると、「普通の場所」的な扱いだった。

☆日本人は珠海に行くのに、そのつど「ビザ」を取らなければならなかったが、ノーマルの「観光ビザ(取得するのがチト面倒)」を取得する他に、珠海のみ3日間滞在できる「経済特区訪問ビザ(取得が安くて簡単)」があった。

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☆ビザ・オフィス(ビザ屋)が今の免税店あたりにあった。

☆マカオ側も中国側も、出入境の建物が平屋で、日本の田舎の郵便局並みだった。(実際にマカオ側の建物の入り口には、他では見られないほどデカイ(切手の自販機付きのポストがあった。)

☆その割りに、中国側の税関やら健康診断所は、緩衝地帯の中の建物の2階とか3階とかにあり、緩衝地帯自体が何百メートルもあるにもかかわらず、建物の中を上がったり・下がったりと面倒くさかった。

☆当時マカオは、ポルトガルの「海外県」だった。

とかとか。

と言うわけで、

☆この時、この「ボーダー」は実際に中国とポルトガルの国境だった。

とか。


今でも本土在住の中国人は、特別な「権利」を持った人民しかこの「ボーダー」を超える事ができない。










この場を記するとき、「国境」とか「口岸」「省境」と書いてきたが、「ボーダー」と言う「逃げ道」があったと思い知らされた。



人生、ズ〜ッと勉強だなぁ。


















こんなんで良いっすか、へきさん。w

















またまた全然関係無いんだけど、「ワイルド・スピード」のCMに出てる「藤井リナ」ちゃんって、化粧してない時、僕のド・ストライクっす。