588
588(オー・パル・パル)は韓国での庶民派の夜遊び風俗(真昼間もやってたけど)のひとつだ。

有名どころは「清涼里」や「ミアリ」、「龍山」「ヨンドンポ」などなど、ソウル市内だけでもひと頃は10ヶ所近く存在したし、同じような施設が韓国国内の名立たる街街には必ず存在した。

ここ最近は「土地開発」の名目の元に多くの588が潰され、職を失った何万人ものアガシ(韓国版小姐)がリクルートに困り、デモが起こるほど社会問題化している。

日本国内では、昭和34年に「売春防止法」ができる以前は、赤線(公娼街)や青線(私設娼街)なども乱立していたが、その後は今に至る過程と結果は同等の物に他ならない。

それをリアルに目の当たりにできる場所が韓国だった。


「存在悪」と言う概念がある。

悪い事と認知されながらも、無くてはならない「存在」や「物」だ。

「泥棒と娼婦は世界最古の職業」と言われるほど、その存在はプリミティブな物だが、経済的な観点から見て、2次的な産業を生み出すと言う事から考察すると、それらは無くてはならない存在悪だ。

その多くは否定されがちだが、実際には無くては成らない物であることは明白だ。

「韓国は日本より遅れている」と思っている人がほとんどだろうが、実際には日本と何ら変わりなく、物価も差ほど変わらない。

しかし、その社会構造を受け入れるべくの多くの人たちには、その「存在悪」は受け入れるべく物だし、今後も「手を変え品を変え」存在し続ける事と思う。

「儒教」と言う概念が未だ存在する国民性は尊敬に値するのだが、その「ハードル」が高ければ高いほど、一度そのコミュニティーに入ってしまえば、そこから出ることが容易で無いほどの人間関係を構築できるのだ。

そんな下町風情の人間関係が未だ残る町並みには、今日も今日とてアガシ達は客寄せに余念が無いし、多くの男達は、そのアガシを物色するかのように街をはいかいする。

それこそが韓国での「常識」だし、これからも続きべき姿だ。

588が過去の物になろうとしている今現在でも。