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d4c7d797.jpg昨日の「教科書」の流れで、今日はマカオの真面目な歴史の話をひとつ。

近代のマカオの歴史を語る上で、必ず引き合いに出されるのは何鴻燊老板だが、それに相反する立場にいる人物で忘れてはならないのは、聖フランシスコ・ザビエル教会の主任司祭だった「マニュエル・テイシエラ神父」だ。

僕自身は彼の消息を2000年前半までしか知らず、それから過ぎること7年たった今、生きていれば96歳だが、ネット上に彼の名前を確認できないのは、すでに神の御霊の元へ旅立たれたのかと思うしだいだ。

マカオ半島部にある、今や世界遺産にも登録された「聖ジョセフ修道院」で暮らし、「勤務先」であるコロアネ島にある聖フランシスコ・ザビエル教会迄毎日徒歩で一時間半をかけて行き来をしては街行く人と会話を交わす日々が1990年頃迄(彼が90歳になるまで)続いた。

その後は一神父として聖ジョセフ修道院で、後身の指導にあたられながらも、マカオの歴史研究家として300編以上の著書や論文を綴り、「歩くマカオ史」と言われたほどだ。

聖なる職に就きながらも「性」なる職への理解度も高く、マカオのサブ・カルのみならず、マカオに住む人達のほとんどを知っていたと言われるほどマカオを知り尽くした人だった。

最年少伝道団の一員として、12歳でマカオに派遣されてから、生きていれば80年以上もの長い間(シンガポールやマレーシアに教師として派遣されていた時期もあるが)マカオに携わり、彼なくしては聖フランシスコ・ザビエルの聖体の各部分がゆかりある教会に分骨されることもなかっただろうし、日本の26聖人の聖骨は長崎に帰れなかっただろう。

そんな重要な人物が語られることなく、知られることなく忘れ去られることは、真のマカオ・ラバーにとっては耐え難いことだ。

聖あるからこそ俗があり、俗があるがゆえに聖は必要なのだ。


(今日の写真は1993年4月15日号の「BRUTUS」からの引用です。 記事も興味深いので拡大して読んでみてください。)