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750b3098.jpg香港では何十年も前に無くなったと言われ(探せば新界の奥のほうにありそうですが)、マカオではこの写真の場所以外に2箇所程しかない「路上床屋」。

中国本土では街中でもたまに見かけるけれども、そうたくさんは無い。

マカオの定宿から中心地であるセナド広場に出る時に通る、営地街市の市場外市場でもある「鶏市場街」とも呼ばれる鐘家園が、営地大街に抜けるはす口にある路上床屋は、僕がマカオを定点観測する上での「民度」や「経済バランス」の指針にしている。

2005年7月に、ユネスコの世界遺産の中でも「歴史遺産」として登録されたマカオは、キューバのハバナのように街全体を世界遺産にすべく「追加申請」する努力を惜しまなくてはいけないし、それが確固たる第一次産業を持たないマカオにとっての存在意義ではないかと思っている。

500年近く50万人に満たない人々が、他からの被宗主と成るべく援助を受けることなく、自らの力によって「都市国家」同様の経営手腕と財力を持ち続けれた「民度の高さ」は今更証明すべくも無い。

時に海運業で、時にカジノで、そして観光業によってと、手を変え品を変え破綻することなくこの街を反映させてきた「経済バランス」感もなかなかのものだ。

「温故知新」と言う言葉をみずからのDNAの中で、感覚としてまたは当たり前のものとして実践してきたからこそ、今のマカオが存在するのだと思う。

この床屋を拒否した時には、マカオは先進国と同様の、歩んではいけない既存の経済発展の道を選んだ事になるのだろうし、存在させなければ「澳門歴史城区」としての存在意義を失った事になるはずだ。

路上の床屋がそんな重大な問題化とも思うだろうが、同じような歴史背景を持つ香港は、いまさら「見どころ」を作り出す事しか方法が無いのだ。

事物は総て、「素材」・「テーマ」・「演出」の三位一体で成り立っているとすると、澳門には前者二つは既にある。

問題は「演出」なのだと声高らかに言っておこう。


(でも後継者がいなければ、必然無くなって行くのだが。 それも問題。)